こんにちは、ゆあです。
今回は真面目な話をしていきます。
これは自分自身が人生に疲れたでは言い表せないくらいの状態だった時に考えたことです。
もし、幸せを将来感じたい人は読んでいってください。
あとこういう記事では幸せになるとかそういう方法論ばかり書かれているので、幸せとかそもそも何とか、「なんで」ならなくちゃいけないのと思う人が絶対いるはずです。
そういった人向けにも私の体験に基づいて最後にコメントしているので読んでいってください。
本当に長くなりますが、一部分でも読んでいただけたら幸いです。
「正しい選択」をしなければ幸せにはなれない

正しい選択とは
「選択」とは
選択とはなんでしょう。
私たちは毎日選択をしています。
今日の夜ご飯に何を食べようか。
今日は何の音楽を聞いて出勤しようか。
このように意識的な選択もあれば、無意識的な選択もあるでしょう。
会社に出勤するかどうか。
朝、歯を磨くかどうか。
普通の人は会社に出勤することに、疲れたなぁ出勤したくないなぁとは思いつつも、出勤するかしないかは特別な事情がない限りは、考えることなく出勤すると思います。
このように私たちは無意識的にも選択を行っています。
では、意識的にも無意識的にも「選択をする」とはどういうことなのでしょうか。
何かを選択するということは、何かを選択しないということです。
夜ご飯にオムライスを食べることにした場合、オムライス以外を食べることを選択していません。
出勤する代わりに出勤しない選択肢を選択していません。
このように何か1つを選択するということは選択したもの以外を捨てているということです。
「正しい」選択とは
では、正しい選択とはなんなのでしょうか?
まず「正しい」という言葉は比較的あいまいな言葉なので、ここでは「幸せになるための」と定義しましょう。
それでは先ほどの例よりも大きな選択の例を考えましょう。
あなたは小さいころからパティシエになろうと思っていました。
ですが、親からは専門学校に行かずに普通の大学に行けと言われます。
このように数年先の未来まで決まってしまう選択というのは、意識的か無意識的かは人それぞれだとして、皆さんしてきているはずです。
皆さんはどんな選択を下したのでしょうか。
このような大きな選択をどのようにしていくかが、正しい選択に繋がります。
私たちはどのようにして選択をしていけばよいのでしょうか。
答えはすべての選択肢について考え、自分で決断を下すということです。
え、それだけ?と思いましたか?
しかし、これが出来ているか出来ていないかが正しい、誤ったを決めてしまうのです。
上の例ですとどんなにテキトーにしようとも選択は行わないといけません。
サイコロを振って偶数か奇数になるか、親の言う通りにするか。
いずれにせよ、それはあなたの選択であることは間違いないのです。
では正しいとはなんでしょう。
それは思考をやめないことです。
自分が親の言うとおりに大学に行った場合、パティシエになりたかった夢を諦めて普通に生きていけるのか。
自分が本当は大学に行きたくなかったといって大学をさぼったり辞めたりしないか。
大学を卒業したとして、仕事を続けて将来自分がパティシエを諦めた現実を受け入れられるのか。
など無限に思考は続きます。
これは過去の経験と自分の人間性を照らし合わせながら考えないといけません。
高校からバイトで夢を追いたかったのにバイトはダメと親に言われた。それでも普通に高校生活を送ることができた。
以前も重要な局面ではやりたいことを考えるけど、それ以外はなんとなく生きてこれた。
そういう面がある人ならば、わざわざ夢を追う必要はなくなってきます。
それでも専門学校に行きたいと思い親に言ったところ、その場合の学費は自分で稼げと言われたとします。
この場合選択肢が増えました。
大学に行く、専門学校に自分で稼いでいく、親を説得してお金をもらって専門学校に行く。
また、考え続けなければなりません。
自分で稼いでまで専門学校に行きたいのか。
稼いで専門学校に行くと決めた後、挫折をしたらどうしようか。
親を説得してまで行きたいのか。
とにかく自分が考えられるだけ考えないといけません。
正直、そこまで深く考えるのはつらいことで、もういいやと投げだしてしまうかもしれません。
これが正しくない選択です。
このように考えることをやめた場合、それが将来自分のもとにふってきます。
あのとき、親に言われたとおりにしただけだからと。
どれだけ辛くても、自分の結論を出すギリギリまで考え続けないといけません。
そうした選択にこそ、幸せがあるのです。
正しい選択が幸せに繋がる理由
では、なぜ正しい選択が幸せに繋がるのでしょうか。
答えは簡単で、能動的に生きることになるからです。
人間の根本的なこととして、人から与えられたと思うだけは幸せになりません。
もちろん周りから与えられたと見えたとしても、本人がつかみ取ったという感覚でいれば、それは本人は幸せです。
大きな選択を前にその選択肢についてそれぞれ熟考することは、能動的に生きる姿そのものです。
それを考えることをやめた瞬間、人は受動的に生きることになります。
こういう生き方をしていると幸せと感じることはありません。
そういう生き方をして幸せと感じている人は、元から頭で考えることを知らない人か、これくらいあればいいかと諦めて無理矢理幸せを感じようとしている人です。
能動的に生きることはつらい時がたくさんありますが、受動的に生きて幸せを感じたいと思うようになるよりはマシなはずです。
もし、そこまでして幸せと感じたくないという人は、それでいいです。
これはあくまで幸せを得る「スキル」を説明しているだけで、なんでそこまでして幸せになりたいの?という話をしているわけではありません(そういう人は最後の方を読んでください)
幸せになるために
正しい選択をしても必ず失敗はある
さて、そのように正しい選択をしたとしたらすぐに幸せになるのかと言われればそうではありません。
基本的にはその選択は失敗だったとなることが多いでしょう。
自分を追い込んで追い込んで考えたのに、間違えるのです。
失敗する理由はなんでしょう。
思考不足、知識不足、客観的視点の不足の3つのどれかだと思います。
例えば思考不足ですが、ブログの収入が月100万を超えたためブロガーとして生きていくと決め、仕事を全て辞めてブログ一筋になったとします。
その1か月後にネットの広告業は禁止するという法律が定まったとします。
これは選択の失敗ですよね。
このとき、ブログができなくなる収入がなくなる等のリスクを考えられていなかった訳です。
そんなことあるはずないじゃんと思うかもしれませんが、選択肢を熟考しているときにそういったことを考えていれば防げましたよね。
知識不足とはブログのみにしたときに払う税金が大きくなりすぎたということが考えられます。
意外と企業で働いていると税金を勝手に収めてくれていますからね。
もちろんそういったことも考えて会社を辞める選択肢を出したなら問題ないのです。
自分の選択が失敗する例はいくらでも思いつきます。
そういったリスクを考えられていないと選択が失敗だったと言わざるを得ないのです。
失敗によるアップデート
じゃあどうすればよいのかという話なのですが、これもまた簡単で失敗したら自分自身をアップデートしてください。
例えば上の例でしたら、自分が選択を考える時にリスクについての考えが弱い。
次の選択のときはリスクをもっと考えよう。他の人にも聞いてみようと。
よく言われる失敗を生かせの1例ですよね。
しょうがないんです。
最初から最後まで失敗しないで生きている人間は本物の天才か、失敗は成功のためのプロセスと言っている人です。
やってしまったという感情は確かに存在するんです。
これを次の選択の際に生かせるかどうかです。
そこで受動的な生き方になってしまっては幸せは得られません。
ただし、幸せをつかむためにつらい思いをするなら受動的に生きると選択をして生きるのは良いと思います。
もしかしたらその過程で、やっぱりこれでは嫌だ、あの時受動的な生き方を選んだのは失敗だった、と思えるかもしれません。
自分で考え選択をする=能動的に生きている限りは幸せを掴むチャンスがあるのです。
日々の小さな幸せもそうです。選択をすることをやめないでください。
もっと深く根本的な問題に悩んでいる人へ
根本的な問題とは
ここまでは、「幸せになるためのスキル」の話でした。
もっと根本的な話に行きましょう。
根本的な問題とは突き詰めれば、なんで宇宙・この世界は存在するのかです。
まあソクラテス的にwhy?why?を積み重ねていけばそうなるのは当たり前です。
私自身そういったことに悩まされてきましたし、今も答えは知りません。
じゃあどうすればよいのかって話ですよね。
まあ答えはどうしようもありません。安心しましたか?絶望しましたか?
答えはないっていうのが答えなんでしょうね。結局。
じゃあ何もする意味はないじゃんといえばその通りです。
みんなが頑張って世界を豊かにしていこうとか幸せを掴もうとかマジで意味ないんですよね。
じゃあなんでそんな悩みを抱えないといけないのかと言われれば、まあみんな生きているからですよね。
生きていて、考え続けてしまうとそこにぶち当たる。そして、何も進まない。
ただこれだけ覚えておいたほうが良いです。
行動できている人たちも意外とそういうことは考えているのです。
まあ行動している時点で誤魔化しじゃんとなりますけど、自分が存在している時点で誤魔化しでもありますよね。
存在している限り何かを誤魔化しています。
私自身の体験談
じゃあどうやって私がブログをかけるところまできたのかという話を少しします。
決して真似はしないほうが良いです。
結論から言うとタヒぬことを何度も考えました。
まあ結局残ったものは、体に残った傷と心に残った絶望感です。
命を落とせないって絶望感は想像以上にきつかったです。
ということでそれから逃げることにしました。
残念ながら私はそこまで強くありませんでした。
なので、「生きるスキル」をとりあえず会得しようと思いました。
不思議なことにそういった根本的問題について書いている人はほんのわずかなのに、生きるスキルは山ほどあるんですよね。
絶望を大きく味わう程考えることができた人は、スキルを実行するための思考回路を理解するのには時間はかかりません。
そこから行動するかはその人次第です。
私は、行動した結果絶望しか残らないなら人生終わるかと思っています。
もしかしたら行動した結果、自分を誤魔化すことが得意になるかもしれません。
誤魔化すことに嫌悪感はありましたが、あの時の絶望感よりはマシです。
私は運がよかったんでしょうね。
以上です。
まとめ
ということで、もしすべてを読んでくれた人がいたとしたら、本当にありがとうございました。
もしあなたが幸せを掴みたいというなら選択をし続けてください。
もちろん何かを選択する以上、その瞬間失うものはたくさんあります。
それでも、そういった理由で選択をやめたら本当の幸せを感じられないでしょう。
では、また。